わたしとランとのかかわりについて
わたしは岐阜の揖斐というところで生まれ
園芸が好きな父の影響もあり
よく園芸店についていくようになり
すんなりと草花が好きになっていったように思います。

亡くなった祖母はシンビジュームのオオイソ(だったとおもいます)
育てていました。
(いまでも残っています。今年も花をつけるでしょう。)

自分からようらんを買った(自分のお金ではありませんが)のは
パフィオ インシグネ サンデレーだったと思います。
そのあとは
カトレア ニッポン(セミアルバです)だったと思います。
まだ小学生のころでした。
今思うによくそんな高価なものを買ってくれたものです。

そのころ岐阜市内(柳ケ瀬)の近鉄百貨店で
開かれていた洋らん展にはよくつれていってもらったものでした。
(いまは残念なことに近鉄百貨店は閉店してしまいましたが)
せっかく買っても枯れてしまうことが多かったので
そのころはエピデンやデンドロのロディゲシーを買ったような記憶があります。

そのころからすでに大垣園芸さんは
出店されていたとおもいますから
ずいぶん長いお付き合いです。

お決まりの受験などの関係で
しばらく洋らんから離れていました。

就職して何年かしてから
体をこわしてしまい
岐阜の実家で療養しているときにふたたび洋らんをはじめることになりました。

うちの父は行動的な人で車庫だった建物に
エキスパンドメタルを溶接させ温室をつくってしまうようなひとです。
中学か高校のころでした。
ただ、天窓や換気扇をつけなかったので蒸れてしまい
そんなに長くはつづきませんでした。

すっかりキウイの枯れ枝置き場になってしまっていた温室ですが
療養しているあいだにふたたび温室に戻すことになりました。

つづく